試合に負けて落ち込む子どもに、つい「次は頑張れ」と言っていませんか。その言葉は励ましのつもりでも、子どもには「今のお前では足りない」と聞こえることがあります。
僕は札幌でバスケットボールスクールを3拠点(真駒内・南3条・新琴似)運営し、100名の子どもたちと関わっています。バスケ歴は27年。今日は、「頑張れ」という言葉そのものについて書きます。いつ言うかではなく、この一語が子どもの中でどう変換されるか、という話です。試合後の帰り道での関わり方はミニバスの試合後、車内での保護者の声かけに詳しく書いたので、合わせて読んでもらえたらと思います。
「頑張れ」は、行き先の書いていない指示になりやすい
まず、僕は「頑張れ」を禁句にしたいわけではありません。僕自身、現場で普通に使います。問題は言葉そのものではなく、その言葉が何も特定していないことにあります。
似たことが、練習の場面でも起きます。個別指導のあと、保護者の方にこう聞かれたことがありました。「もっと走れって、言った方がいいんでしょうか」。試合の中で子どもがなかなか動けない、周りより反応が遅く見える、と。
僕はその場で「走らせてください」と答えることもできました。でも、言葉が出てこなかった。その日の練習で、その子の目が何度か止まった瞬間を見ていたからです。足ではなく、頭が止まっているのかもしれない、と。
バスケは複雑な競技です。ボールを見る。味方を見る。ディフェンスを見る。次に空く場所を考える。子どもは、その全部を同時には処理できません。周りからは立っているように見えても、本人の頭の中では「どこへ行けばいいんだろう」「もらっていいのかな」という迷いが起きていることがあります。
そこで「走れ」とだけ言われると、子どもは速く動こうとします。でも行き先は分からないままです。ボールへ近づきすぎる。味方と同じ場所へ行く。失敗して、さらに動くのが怖くなる。
「頑張れ」も、構造は同じです。何を、どこに向かって、どれくらい増やせばいいのかが入っていない。だから受け取った子は、「今の量では足りないんだな」という部分だけを取り出してしまうことがあります。
僕は、この言葉で人を追い込んだことがある
僕自身、かつて「頑張れ」という言葉で人を追い込んでしまった失敗があります。だからこそ伝えたい。
これは指導者としてだけの話ではありません。選手だった頃、チームメイトにも同じことをしていました。うまくいっていない相手に、いい言葉が思いつかなくて「頑張れ」で済ませる。今思えば、あれは相手を励ましていたのではなく、自分が黙っている気まずさを埋めていただけでした。
言葉が出てこない時に、いちばん手が届くところにあるのが「頑張れ」なんです。そして、いちばん手が届くところにある言葉は、たいてい、いちばん相手に届きにくい。
もう一つ、正直に書いておきます。試合後に大人の言葉が強くなる時、そこには子どもへの怒りだけでなく、大人自身の不安が混ざっています。このままで大丈夫かな。周りに置いていかれないかな。僕にもあります。だから親御さんを責めたいわけではありません。ただ、その不安をそのまま子どもに渡すと、子どもは「次にどうするか」より先に「また言われたくない」に意識が向いてしまいます。
結果を褒めた夜に、言えなかった一言
去年、娘の発表会がありました。舞台で、うまく踊れて、僕は嬉しくて、つい言いました。「上手だったね!」
でもその夜、寝顔を見ながら、ふと思ったんです。あの日、あの子が一番頑張ったのは、上手に踊れたことじゃない。緊張して足がすくんでも、舞台に立って、最後まで踊りきったこと。そこを僕は、ちゃんと言葉にできていなかったな、と。「頑張ったね」が、言えていなかった。
これは、バスケでもまったく同じです。僕もつい、点を決めた子に「ナイスシュート!」が先に出ます。それ自体は悪いことではありません。
ただ、結果ばかりを褒めていると、子どもの中に、じわじわとある思い込みが育つことがあります。「結果を出したら、褒めてもらえる」。裏を返すと、「結果が出なかったら、価値がない」。そう感じ始めた子は、新しいことに手を出さなくなります。失敗すると褒めてもらえないなら、できることだけ無難にやっておいたほうがいい——そうやって、心が縮こまっていく。
それに、結果は自分だけでは決められません。相手もいるし、その日の調子もある。自分でどうにもできないもので評価されると、子どもはただ不安になります。でも、「今日、最後まで走ったこと」は、自分で決められる。そこを見てもらえた子は、また前を向けます。
「頑張れ」の代わりに、僕が渡しているもの
では何を言うか。僕がやっているのは、評価ではなく、見ていた事実をそのまま渡すことです。
試合後にまずかけるべきは、評価ではなく「事実」と「挑戦の承認」です。「最後まで走りきってたね」「あの場面、自分から仕掛けにいったよね」。結果ではなく、挑戦したプロセスを具体的に言葉にする。それだけで、子どもは次もコートに立ちたくなります。
ポイントは、この言い方には子どもが反論できないことです。「すごいね」には「別にすごくない」と返せますが、「あの時、自分でスペースに入っていったよね」には返しようがない。事実だからです。褒め言葉は受け取り拒否できても、目撃の報告はできない。だから残ります。
そして僕は、意識して使い分けるようにしています。結果が出た日ほど、過程を言葉にする。「決まって嬉しいね。でも、その前に自分から動いてたの、ちゃんと見てたよ」。うまくいかなかった日ほど、頑張りを言葉にする。「悔しかったな。でも今日、こわい場面で自分から仕掛けにいったろ」。
「頑張ったね」は、結果が出た時だけの言葉ではありません。結果がどうであれ、その子が頑張った、そのことにこそかけたい言葉です。
もし、そもそも動きが少ない・やる気がなさそうに見える、という段階なら、原因は言葉より手前にあるかもしれません。その話はバスケにやる気がない子ども。僕が「頑張れ」より先に見ることに書きました。
よくある質問
Q. 「頑張れ」は、絶対に言ってはいけないのでしょうか?
A. そんなことはありません。僕も言います。子どもが自分から前に出ようとしている時の「頑張れ」は、背中を押す言葉として普通に機能します。効きにくいのは、その子がもう十分に頑張っていて、それでも届かない時です。言うかどうかより、今どっちの場面かを見るほうが大事だと思っています。
Q. 何を見ていたか、うまく思い出せません。
A. 僕も全部は覚えていません。だから、試合中に「一個だけ覚えて帰る」と決めて見ています。しかも、上手いプレーである必要はありません。転んだあとの立ち上がりが速かった、味方がミスした時に手を叩いていた。そういうもののほうが、本人には意外に嬉しかったりします。
Q. 事実を伝えても、無反応です。
A. 反応がなくても、届いていないとは限りません。その場では照れて流しても、後から思い出すことがあります。僕が見ているのは、次の練習でその子が同じことをもう一度やるかどうかです。もう一度やったなら、届いています。
まとめ
「頑張れ」は、悪い言葉ではありません。ただ、行き先が入っていないぶん、受け取る側の状態によって意味が変わってしまう言葉です。しんどい時の子どもは、たいてい「足りない」のほうで受け取ります。
だから僕は、励ますより先に、見ていたことを伝えるようにしています。評価ではなく、目撃を渡す。「ちゃんと見てるよ」が伝わっているだけで、子どもは自分の頑張りを自分で認められるようになります。
保護者の声かけは、子どもの挑戦を支える最大の環境です。家庭とコートが同じ方向を向いたとき、子どもの伸びは何倍にも加速します。
挑戦する子は、環境で決まる。環境をつくるのは、僕たち大人です。
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